(Reblogged from orekane)
個人的な「嫌い」が、いつのまにか「間違っている」に摩り替わる不思議
(Reblogged from playwith)
 あなたが他人と比較したり、競争したりせずに、自分自身でいることに満足していれば、おのずと人はあなたを尊敬してくれる。もっと重要なのは、あなた自身が自分に誇りをもてることだ。

 どうして、他人にあなたのレッテルを貼らせるのか? 誰もあなたのことを決めつけることなどできないとわかれば、違ってくるのでは?誰にもあなたを決めつける権利などない。人はあなたの話を聞いて、あなたのことがわかった気でいるかもしれないが、彼らはあなたが味わった感覚を体感することはできない。彼らはあなたの人生を生きているのではないのだから。

 だから、他人があなたについて考え、語ることなど忘れること。自分について、あなた自身がどう感じるかだけを考え、一番いいと思う道を歩き続けよう。

 誰かがあなたのことをなにか言う。それが真実であろうがなかろうが、そんなことは問題ではない。いずれにしても、他人があなたについてあれこれ言うことは、あなたの問題ではない。そんなことを言う彼らのほうに問題がある。
(Reblogged from playwith)
他人がしていることなど、忘れること。彼らがどこにいるか、なにを所有しているかなど、いちいち気にするのをやめるて、自分の道を歩いていこう。

 不安に苛まれるのは、自分のおかれた環境を、他の人のそれと比較してしまうから。自分の心の声を聞くより、世間の雑音が耳に入ってくるものだが、他人と自分を比べるのはやめたほうがいい。心を乱すものは無視すること。自分の内なる声に耳を傾け、自分のことだけ気にかけよう。

 自分の幸せと大きな目標を大切にして、日々それに打ち込むこと。ひとりで歩み、それを楽しむことを恐れないこと。なにも知らない他人の否定的な言葉や、人のドラマチックな出来事を気にして、力を尽くすのをおろそかにしないで。
(Reblogged from playwith)

In the end, only three things matter: how much you loved, how gently you lived, and how gracefully you let go of things not meant for you.

「最期には三つの事だけが重要だ。いかに愛したか、いかに優しく生きたか、そして、いかに潔く自分のものでないものを手放したか、だ。」仏教の教え

Buddhist Saying (via wendesgray)

(Source: thelenaubr)

(Reblogged from hnsm)
駄目なシステムを改良したい場合、すべてをゼロから書き換えたくなるものですが、そうするとかえって状況が悪くなることが多いというのが定説です。地味な改善をゆっくり積み重ねるように
(Reblogged from muhuhu)
まだそんなこと言ってるのかしら。あのね、世の中は歪んでもないし、輝いてもないのよ。もし歪んで見えるのなら、あなたが歪んでいるの。輝いて見えるのならあなたが輝いているの。ただそれだけよ。
(via fffff9)
(Reblogged from muhuhu)
収入の絶対額と貯金の額は正比例しない。
月収20万で貯まらない人は、
月収100万になっても貯金は絶対出来ない。
仮にほんとに100万の月収になっても
たまたま使い切れず、たまたま余ったお金は貯金とは言わない。
意思で貯めた¥と、たまたま余った¥は同じではない。

よって、今は給料安いから貯金は出来ないけど
給料が増えたら絶対貯金するんだという、よくある言い訳、発想はやはり無理。
(Reblogged from okazbb)
思い返すに、大学院での指導で「自分の頭で考えろ」と教員に言われたことは一度もないと思う。その代わり散々言われたのは「よく調べろ」。自分の頭で考えるというのはそれなりの危険があって、不適切な材料と不十分な思考力では斜め上にたどり着くものだ。
(Reblogged from kkj114)

『絶対的な価値など存在しない』という言葉に納得される方は多いと思います。この考え方は裏を返せば『相対的な価値は存在する』ということです。相対的な価値とは個々人の価値を認めるということです。そうであるならば、個々の価値がぶつかり合ったときに平行線で答えは出なくなってしまった場合、コミュニケーションには意味がない事になります。


相対的な価値を絶対化しては得られるものも得られません。


「人それぞれ」という言葉は一見すると人の意見を認める発言に見えますが、実は人の意見を拒絶する考え方です。意見は人それぞれに持っていてもなんら不思議ではありませんが、その意見というものはコミュニケートしている人の間に共通して存在しなければならないからです。相互に納得できる部分を摺り合わせていくことをなしていかなければ意見が意味を持たないのです。共通して納得できる新しい部分を創造し、共有していけばコミュニケーションは成立させることはできます。


コミュニケーションは双方が納得するまで意見を交わす意志が求められるのです。


「人それぞれ」という考え方自体が間違いではありません。「人それぞれ」で終わらせることというのが誤りなのです。「人それぞれ」が終着点なのではなく、出発点として、少しでも共有できることを増やしていく行為がまさにコミュニケーションする意味なのです。


コミュニケーションは「すべての人はわかりあえること」の上に成り立っている


人はコミュニケーションすることで得られる経験が増えることはご存知だと思います。また、共有部分が少ないために価値観のぶつかり合いが起こりお互いの価値を失ったということは多くの歴史から学ぶところです。排他的な『人それぞれ』は、お互いにとってデメリットしか残しません。


誰も理解できない人と、誰とでも理解し合える人の差は「人それぞれ」の次のアクションに拠るのです。

「人それぞれ」は拒絶するというコミュニケーション - keitaro-news (via itokonnyaku) (via checcolloyd)

「人それぞれだ」っていうのは小泉純一郎の有名な発言

(via forzando) (via kondot) (via nemoi) (via konishiroku) (via yaruo) (via motomocomo) (via kkj114)

(Reblogged from kkj114)